動機付けと衛生理論


01


 五番隊の隊長はその人徳で、十一番隊はその屈強さで慕われているとしたら。
 十二番隊の隊長は、そのカリスマ性で隊員達に慕われている。

 五番隊に劣らぬ人望。
 十一番隊に負けぬ強さ。

 十二番隊隊長、黒崎一護はそれを持ち合わせていた。

「そんで、うちの副隊長は技局におこもり?」


 書類を抱えて廊下を歩く一護は、それ以上の書類を抱えた三席に話しかける。
 話題はうちの副隊長、こと十二番隊の副隊長。
 技局、技術開発局を創設し、局長を兼任する男だ。

 その実力もさることながら人望も厚い一護は、隊員たちから慕われているし、一護もそれを嬉しいと思っている。
 けれどその例外、と言えるべきなのが自隊の副隊長。
 犬猿の仲、水と油のようだと他の隊では囁かれている。
 正直、一護は彼が苦手だ。

「研究が忙しいらしい、と技局の…ええっと角のある…」
「阿近さんか」
「そうっす」

 副隊長職と局長を兼任するのは忙しいらしい。
 あまり隊に顔を出すことは少なくて、だから仕事は溜まる一方。
 けれども三席である一角が、副隊長職をも片づける一護を補佐してくれる。

「俺、お前副隊長に推薦しようかなあ」

 そんなに忙しいなら、いっそ辞めてしまえば良い。
 はあ、と一護はため息。

「いや…実力ってもんが…」
「そうなんだよ…アイツ強いんだよなあ。腹の立つことに」

 浦原喜助はめっぽう強い。
 鬼の喜助と呼ばれるくらいだ。
 本気で斬り合ったら、一護だってどうなるか分からない。

「うう…。と、とりあえず書類を片づけるぞっ」
「あ、危ない」

 隊舎へと向かう角から人影。
 書類が多くてほとんど前の見えない状態だった一護は、その言葉に止まれるはずもなく。

 衝突。

「いって…」

 一護は尻餅をついて、☆マークのちらつく視界を追い払う。
 これだからでかい男は嫌いなのだ。
 書類は廊下にこれでもか、というくらい敷き詰められるようにばらまかれた。

「……大丈夫っスか?」

 差し伸べられた手を無視して、一護は身を持ち直すと書類をかき集める。
 その手の主が誰か、なんて声を聞けば分かる。

「それより、溜まってる仕事を心配しやがれ」

 一角の助けもあって書類を拾いきった一護は立ち上がり、目の前に立ちはだかる副隊長を睨み付けた。
 頭一つ、いや二つ分高い。

 研究が忙しいならこんなところでウロウロするな。
 今日も俺は徹夜だ馬鹿野郎!

 それからすぐに一護は隊舎へ向けて足を進めだした。

「嫌われてるんスかねえ?」

 独り言のようにも聞こえたが、一角は分かりません、と答えた。

「一角!」
「へいへい」

 先を行く一護からは噛みつくような怒声。
 これは相当機嫌を損ねたな、と思いながら一角は、立ったままの上司に頭を下げると、一護を追いかけた。




02


 一護が倒れた、という知らせが浦原の耳に届いたのは、太陽が今から沈もうと準備をし始めた頃。
 そのとき浦原は、例外なく技局の局長室に、一護いわくおこもり中だった。

 隊長は人一倍頑張るお人だからとか。
 日頃の無理が祟ったのだとか。
 そういえば近頃顔色が優れないとか。
 それもこれも副隊長が自分の仕事をしないからだ、とも。

 とりあえず四番隊に運ばれて、黒崎一護隊長は療養中。

「疲れと貧血と、軽い栄養失調ですね」

 卯ノ花は駆けつけた浦原にそう言った。
 言うのは二回目らしい。

 一回目であったはずの一角は、一護が倒れたことで動揺し機能の停止した隊に戻って、指揮を執っているはずだ。
 一護は天蓋の中、寝台の上で眠っているという。

「最近よく、残っておられたようですから」

 口外に、お前が仕事をしないせいだ、と。
 卯ノ花は天蓋の中に入る。
 後を追おうとした浦原に、女性の寝所に入るおつもりで?と告げた。

「…う……ここ…?」
「黒崎隊長。ここは四番隊の救護室です。倒れられたのは覚えていらっしゃいます?」
「何と、なく…」

 意識を浮上させた一護に、卯ノ花はやんわりと話しかける。

「今日は斑目さんが代わりに仕事してくださるそうですから。今日はゆっくりお休みになられて下さい」
「…いや、でも…それじゃあ一角に悪いし…」
「これでまた倒れたら、もっと迷惑が掛かりますよ」
「う……」

 卯ノ花は穏やかな顔をして、なかなか手厳しい。
 それは患者の為を思っての台詞だ。

「それと。家までは副隊長が送って下さるそうです。そうでしょう?浦原副隊長」

 と言われては否定も拒絶も出来ない。
 浦原は、はあ、とやる気のない返事をする。
 一護のしかめ面が目に見えるようだ。

「卯ノ花さん…」
「副隊長と不仲なのはいずれ士気に関わってきますよ?それに食わず嫌いというのは良くないと思いまして」

 卯ノ花に身体を支えられるように、一護は天蓋から出てきた。
 自力で歩けないほどに衰弱しているのか。
 確かに顔色は悪い。

「ちゃんと、ご自宅まで送って下さいね」

 一護の大きな斬魄刀を、浦原に押しつけた卯ノ花は、これでもかと笑顔を浮かべた。
 正直、怖い。

「ちょっ…」

 浦原の存在はなきもののように、ふらふらと一護が歩き始める。
 一護の斬魄刀を片手に抱えて、浦原はその手を取った。

「何だ?」

 手を払われ、手中の斬魄刀を奪われる。
 少し小柄な一護と、大きな斬魄刀の組み合わせは十二番隊の象徴となるほど。
 それほど一護と斬魄刀はいつも共にある。

「お送りします」
「…家知らないだろ」

 確かに、知らない。
 一護のことなんて、浦原はこれっぽっちも知らないのだ。

 名前と。所属隊と。

「斬月」

 斬魄刀の名前と、その能力だけ。
 具現化した一護の斬魄刀は、一人の男を作り出す。

「一護」
「悪いけど、家まで連れて帰ってくれ」

 そう言って一護は身を預ける。
 斬月、と呼ばれた洋装の男は一護を抱き上げた。
 よほど怠かったのか、すぐに一護は意識を潜らせた。

「…とのことだ」
「と言われましてもねえ。アタシは卯ノ花隊長に命令された以上、隊長を送らないといけないんです」
「勝手にしろ」

 隊長が浦原を苦手としているように、どうやらこの斬魄刀も良い感情を抱いていないようだ。
 人のいない通りを選ぶ斬月の後を、浦原は追った。




03


 辿り着いたのは、小さな一軒家。
 隊長職に就く死神には、貴族に負けぬほどの大きな屋敷が支給されると言うが。

「…… あ、あ。有難うな」

 自宅に着いたことを悟った一護は、意識を取り戻す。
 床に下ろされて、それから斬月は姿を消した。
 一護も家の鍵を開け、家へと入っていく。

 浦原の存在は無視だ。
 もしかしたら気づいていないのかもしれない。

「…お邪魔、します」

 鍵を掛けないなんてなんて不用心な。
 けれどこれ幸いに、浦原は引き戸をゆっくり開けた。
 空き巣の気分。

「…… 一護さん!」

 本人が居ないところでこっそり名前呼びをしている。
 それがつい、うっかりと出てしまったが、浦原は玄関に倒れ込む一護を見て、声を荒げた。

 完全に意識がないのか、一寸たりとも動かない。

 仕方がない。
 土足を脱いで、倒れ込んだ一護を抱き上げる。

 熱くはないが、酷く冷たい。
 そういえば卯ノ花は、貧血だと言っていたか。

 部屋は狭くないけれど、その分部屋数は少なかった。
 台所と思わしき場所と、書斎と、それから寝室。

 浦原は一護の身体をいったん畳に横たえてから、押入から布団を取り出し、それを敷く。
 その上に一護を寝かせて、ふむと考える。
 帯は解いて良い物か。

「…疚しいわけじゃないですからね…」

 そんな言い訳じみた台詞こそが疚しいからなのだと、自嘲して。

 帯を引き抜くと、袂を緩ませてやる。
 呼吸正しく、上下に動く胸。

 何処を見ているのか。
 浦原はかぶりを振って、意識なく横たわる一護を見やる。

 前見たときよりも少しやせて。
 顔色も悪い。栄養失調気味だと言っていたか。
 桃色でふっくらとした唇も今は乾燥気味。

「う…」

 小さくうめくと、一護は寝返りを打った。

「…あつ、い……」

 熱があるわけでもないけれど。
 どうやら袷を気にしているようだ。

「脱ぎたいんスか?」

 こくりと頭が振れた。

 ごめんなさい、と謝りながら。
 そっと死覇装を脱がしてやる。
 そのまま素肌に着ていたらどうしよう、と思ったが襦袢を着ているらしい。

 しかし。

 汗でうっすら透けているものだから。
 鼓動が早くなる。

「…… 一護さん」

 覆い被さって。
 乾燥した唇にそっと。

 触れそうになった瞬間、一護が身じろぎする。
 驚いた浦原は身を引いた。

「…早く良くなって下さい…」

 けれど一護の手をそっと握って祈るように。
 これからは真面目に仕事をしよう、浦原はそう誓った。




04


 黒崎隊長に酒を勧めてはならない。
 それは十二番隊の暗黙の了解。

「なあなあ」

 一角に寄りかかるように、一護は顔を近づける。
 片手にはお猪口。

 酒臭くはない。
 一護は酒にめっぽう、弱かったから、少しのお酒だけで酔ってしまう。

「起きたら俺。襦袢姿だったわけ。これ、どー思う?」

 先日の、一護が倒れたときの話らしい。
 どういうわけか浦原に介抱して貰ったらしい一護は、言葉の通り朝目覚めたら襦袢姿。
 隣には寄り添って眠る浦原。

 こんな形でも、うら若き乙女でいらっしゃる黒崎隊長だ。
 たとえ酒に弱く絡み酒で、脱ぎ癖があって、今は辛うじて死覇装と隊長羽織を纏っていても、恥じらいというものがある。
 ただ胸元も露わに近いので、大した説得力はない。

「どう、って、死覇装だと苦しいからじゃ…」
「そう。そうなんだよ。俺今暑いわけ。脱いで良いか?」
「駄目だろっ」

 酔っぱらいの思考回路は分からない。脈絡がない。
 帯に及ぶ一護の手を、一角は必死で止めた。
 こんなところで脱がれては困る!
 それに今の一護なら全裸になりかねない。

「何?一角、俺の裸みたくねえの?」

 素面の一護なら決して言わない台詞。
 一護のことは慕っている。
 そういう疚しい感情で見たことは、一度もない、とは言い切れないが、一応ない。

「酒くさい……何なんです?」

 部屋中を充満する、酒の匂い。
 思わず顔を顰めた浦原が次に見たのは、隊長に押し倒される三席の姿だ。

「浦原副隊長。いち…隊長をどけて下さい」

 乱暴に扱うわけにもいかないのだ、と。
 ほとほと困り切った様子の一角を見かねて、浦原は一護の両脇に手を差し込んで上に引き上げる。

「ああ?浦原。何だ、文句あんのか」

 頭だけをこちらに向けて、一護は浦原を睨み付ける。
 けれど酒のせいで目が潤んでいるのだから、あまり威力はない。

「お前がむかつくから、俺がやけ酒しなきゃ、なんねえんだろ」
「はあ」
「離せよ」

 そう言われて、浦原は一護を離す。
 その後一護が倒れ込むように座ったとしても、彼に非があるわけではない。

「技局だか技研だかの局長ならな、俺を男にする薬作れよ。邪魔なんだよ。この胸」
「そんな勿体ない」

 乱菊ほどではないが、それなりに豊満な胸は戦いにおいて邪魔らしい。
 死覇装から、普段は覗かない谷間を気にする様子もなく、それどころか一護はそれをわしづかみにした。

「胸なんてな、どうせ男を喜ばすためにあるんだ。俺にはそんな用途ないからな」

 あーあ、マジで邪魔。
 なんて言う一護は酔っていたけれど、きっとそれが本音なのだろう。

「一角はどう思う?お前、胸がでかい女が好きなのか?」

 どう答えるべきか。
 一角は大いに迷った。

「ああでも、一角なら別に良いかもなあ」

 何が。

「俺、一角の子供なら欲しいと思うよ」

 一護の爆弾発言に本来狼狽えるはずだった一角は、もう一人の上司によって冷静さを取り戻す。
 いや、取り戻しざるを得なかったというか。
 凍えるような視線を浴びて、一角は凍り付いた。

 大体、この男は一護と同様、一護を倦厭していたのではなかったか。

「子供ならアタシと作りましょ」
「いらねー」

 しかし、これはつまり。
 一護に気があると言うことか?

「大体な、お前に泣かされた女達が、上申書持ってうちに毎日来るんだよ。よそにガキ作ったならしっかり責任とれ!」
「ちょ…っそれは誤解です! それに責任取りますからアタシの子供…」

 そう考えながら、酔っぱらいの一護が浦原に絡むのを止めるのが先決。
 今にも斬魄刀を引き抜きそうな勢いだ。

「女の敵め!成敗してやる。そこに直れ!」

 もう二度と自分の前では酒は飲ませない。
 何があっても!特に浦原と一緒にいるときには。
 一角はそう後悔しながら、一護を羽交い締めにした。