siebter himmel


 その日ひとつの国が滅びた。
 青く晴れ渡っていたはずの空が焼けた。

『どんなに苦しくとも、生きることを諦めるな』

 王の血脈を継ぐ一人の子供。

 目の前で父であった男の首が飛ぶ。
 母の美しい髪が焼けた。
 敵の手には掛からない。それが遥か500年も昔から続いてきた王家の誇り。

『必ず見つけ出せ!生け捕らえろ!』

 元はある国の武官でありながら、王を弑逆し王座に上った征服者。

 自ら血に塗られた剣を振りかざして、戦う、その姿は鬼であった。
 目的はただ一つ。光を手に入れる、ただそれだけのために。


 *


 500年続いた国が滅びる。
 それは運命であったのかもしれない。

「浦原さま」

 その声に浦原は振り返った。
 鎧の擦れる音。

「申し訳御座いません。抜け穴、地下室含め、城中探したのですが…」
「そうか」

 その瞬間、血飛沫が散った。
 青ざめた男の顔が、理解できぬと落ちる。

「門を閉ざせ。城下をしらみつぶしに探せ」

 一振りするだけで、血が拭われる白刃。
 浦原は音もなくそれを鞘に収めると、目の前にいる兵士達にそう告げると城の外を見た。

 美しい城だと思う。
 真っ白な城。だからこそ血が似合う。

「既に、逃げおおせているのかも知れませぬぞ」

 大柄な男が告げる。
 彼の腹心中の腹心だ。
 独りよがりになりがちな浦原の、抑止役でもある。

「もう…国外に出ているかも知れないな」

 窓に指を這わす。
 あの子供が生きた城。

 異能の力を持つ一族であった。
 女だけが手に入れることが出来た、異能の力。

 黒崎一心の一粒種。
 成人するまで男として育てられる王家の子供が、本当は女であることを、知るものはほんの一握り。

 偶然に知った。
 美しい光。
 手に入れたいと願い乞うても、受け入れられなかった。
 だから滅ぼした。

「…… どんな手を使ってでも見つけ出せ。…邪魔する奴は、殺せ」



 *


 目覚めたとき、世界は格子の外であった。
 いや、自分が檻の中にいる。
 そう気付いたのはしばらく経った後。


「ここ…は……」

 声が掠れる。灰燼を吸い込んだせいだ。
 胸元に手をやると、動かしたつもりもない左手が動いた。
 枷に、繋がれている。
 手のひらからは布越しに、冷たく重い感触がした。
 宝剣。
 今は亡き国の、王家直系に伝わる刀。

「おら、起きろ」

 上から声がした。
 狭い檻の中、一護は上を見上げる。
 鍵の外れる音。

「競りが始まる。お前は上玉だからな、良い値で売れるだろう」

 人身売買。
 少なくとも一護の国では、行われていなかったはずだ。
 ここは異国か…?
 何故、此処に。

 ああ、捕らわれたのだ。

 恐ろしい男であった。
 独特な発音をした男が、一護の腕を掴んだからだ。

『なかなか、高く売れそうだネ』

 卑屈で厭らしい笑いを浮かべていた。
 鎧に身を包んでいたが、おそらくこの男は武官ではない。
 一護は男の手から逃げようとした。

 この身に宿る、異能の力。
 先見の巫女と呼ばれた一護の力は、未来を見つめる。
 ただ、それだけの力。
 だが多くの国の王がその力を求めていたことを知っていた。

 国が滅んだのは。
 強かった父が死んだのは、優しかった母が死んだのは。
 全て、自分のせいだと。

 何故か、見えなかった未来。

 大切な人を守れなかった。
 そんな惨めな思いで、悔いたくはなかったのに。

 死にたい。
 だが死ねない。
 それが、父や母の望みだ。


 *


 悪い風習である。
 人が人を売り買いする。
 だが、裏切って手に入れた王が立つ国。
 薄汚れたこの世界が相応しい、と思う。

「さあて。次の商品は滅多にお出しできない一品だよ!」

 奴隷市場に木霊する商人の声。
 下衆だ、と吐き捨てた。
 それでも足を運んだのは。

 引きずり出される少女。
 その鮮やかな髪色に、辺りからは感嘆の声が響いた。

「この髪、この肌、この瞳。今回、いや今までで一番の上玉だ!それに初物とくれば金は惜しくないだろう!」
 
 桁違いの価格から競りは始まるのは、ごく自然の流れであった。

「テッサイ」

 脇に控える大柄の男に。
 そう伝えるだけで彼は御意と答えて、その人並みに消えた。



 *



 蜂蜜を閉じこめたような琥珀色。
 それが閉ざされていることを惜しい、と思う。

 長い睫の生えそろう瞼に触れる。
 この瞳が揺れることを。

「…一護…」

 目がくらむ。
 この光は闇にかき消されることもなく、此処に存在していた。

「…ん……」

 寝返りを打つ、その身体に枷はない。
 あんな趣味の悪いもの。
 代わりに赤い革製の首輪。
 その中心にはエメラルドが埋め込んである。

「早く、目を覚まして」

 そしてその琥珀にこの姿を。


*


 黒崎一護を見つけ出す。
 それは未だ配下に告げられた第一級の命令。

 一角は、黒崎一護と面識がある。
 まだこの国の王が、浦原でなかったときの話だ。

 武官になって漸く、将軍であった浦原の副官となった。
 同盟の折、あの国に訪れた浦原と一角は、いずれは国を背負うであろう少年に会ったのだ。

『お前、なかなか強いんだって?』

 一護の剣の腕は、幼いながらも名をとどろかせるほどの腕前。
 一角は、剣士として一度は刀を交わらせたいと思っていた。
 勿論、12,3ほどの子供と戦うつもりは毛頭無い。

 いつか。
 滅ぼすその時が訪れたならば。
 この美しい少年の首を、狩るのは自分だとそう誓った。

「ったく…足りいなあ」

 浦原が王となった今、一角は将軍の地位についた。
 信頼されている。
 下された命令をこなす、そんな立場にいるのはあくまでも下級の武官だけだ。
 浦原の望むことを、彼が口にする前に実行する。
 かくして副官というものはそういうものだから。

「なんだありゃ…」

 見たことのない子供だ。
 純白の服に身を包んでいる。
 女だと分かるほっそりとした体躯だ。

 橙色。
 それはあの子供の色であった。

 子供はおもむろに、手を伸ばした。
 あの場所は結界の出口があるはずだ。
 最強の剣士にして、呪術師である浦原が張った結界を破れる人間が、いるだろうか。

「っツ!」

 殺した悲鳴と肉の焼ける臭い。
 結界に拒まれたのだ。
 浦原は、この子供が外に出ることを望んではいない。

「お前、何してんだ!」

 焼け爛れた手をもう片方で包むその子供に。
 一角は駆け寄り、そして息を飲んだ。

「何で…こんな所に居やがんだ………」

 大きな琥珀が見ている。
 この子供は。

「黒崎一護……」

 悔しそうに、桃色に色づいた唇を噛む。
 その姿は、まだ幼いことを表しているのか。

「離せ」

 細い腕を掴む。
 剣を握っていた腕だ。
 細いなりに、うっすらと筋肉が付いている。

 絹に包まれた、柔らかそうな身体。

「…お前……女だったのか」

 てっきり男だと思っていた。
 正装した子供は、男にしては小柄だと思っていたが、あの年齢だ、男も女も、まだ区別の付かない頃であったから。

「ッ離せ!」

 手のひらに走るのは電撃。
 黒崎一族の持つ異能の力。
 一角は思わずその手を離した。

 身体が、小刻みに震えているのが手のひらから伝わってきていた。
 何に怯えているのか。

「見えないと思っていたら、こんな所にいたんスね」

 弾かれたように。
 一護は顔を上げる。
 血の気を失うとはこのことをいうのだろう、一角がそう思うほど、一護の顔は紙のように白い。

「裸足で歩いちゃ、怪我しますよ」

 鈴の音が転がるほど、甘い。
 一角は、浦原のこのような声を初めて耳にした。
 冷たく研ぎ澄まされた刃のような声質であったと記憶している彼の声は、砂糖菓子のように甘い。

「それに手も……」

 浦原が抱き上げる、小さな身体。
 目に見えるほど震え始めているのに、気にも留めず。
 爛れた手の首を掴んで、口づけする。
 まるで恋人のように。

「斑目」

 目を細め、その様子をうかがっていた一角に掛かる声。
 一角は短い声で返事をする。

 他言無用だと言った。
 浦原は口には出していない。
 一角がそうくみ取ったのだ。

「浦原隊長……いえ、閣下」

 その子供は、誰なのか。
 一角は問うた。

「答えは出ているんでしょう?」
 

 *


 粘度の高い水。
 それはもはや水とは呼ばないのか。
 俗に聖水と呼ばれる、聖なる力を秘めたそれは、万病を治し、全ての傷を治すという。
 もちろん、それは偽りだ。

「痛い?」

 ガーゼが傷を覆う。
 それを光の宿らぬ目で見やりながら、一護は身震いをした。
 熱い。
 細胞が活性化して、傷が癒えていく。

 これが一族の力。
 心臓を貫いても死なぬ、身体。
 唯一命を摘み取るのであれば、頭を狩るしかない、それが亡国の力であった。

「…い…っ」

 爪先が、傷を抉る。

「どうして逃げるの。逃げられないように、鎖をつけてあげようか?」

 逃げても良い、そう言ったのはこの男。
 逃げられるものなら。
 この男の腕から逃れられるならば、逃げおおせれば良い。
 一護に恐怖を植え付けて、圧倒的な力でねじ伏せてそう言ったのは、この男なのに。

「可愛いかも知れないな。…一護は白いから…よく、映えそうだ」

 血の滲んだ爪が、鋭利に首を伝う。
 恐怖で身が竦む。死んで、しまう。
 だってそこは、息の根を止める場所。

「アタシは、あの国を征服した。…あの国のものであった君は、アタシの支配下に置かれるべきでしょう?」

 耳に息が掛かった。
 濡れた、一護の身体を犯す熱は滾っていて、絡み付いて離れない。

「逃がさない。何処までも追いかけて、この腕に閉じこめてあげる」

 いつかこの心さえ。
 囚われてしまうのか。


2007/03/31