夢喰い


 月。
 血のように紅い。
 だから鮮血の月。

 こんな月が出る夜は、魔物が出る。

「忙しくなりそうだ」

 呟く浦原は鈍色のコートを翻した。


 *


 闇にとけ込めない、太陽のような色だ。
 浦原は、街路樹の植えられた縁に座り込む子供を見た。
 ふわふわのファーのフードを被っていて、温かそうな格好をしている。
 膝丈のスカートをはいているから、この子供が女なのだと知れた。

「危ないですよ?」

 普段の浦原ならば、決して声を掛けたりしない。
 しかし、今は違う。
 これが仕事。

「……」

 返答はない。
 何処かを見つめている。
 空虚を?

「…君、こんな真夜中にひとりでいたら、危ないっスよ」

 浦原は少女の前に立つ。
 膝を折って、視線を合わす。
 そうすることで、ようやく少女は浦原の存在に気付いたようだ。

「平気」

 瞳は甘い。
 その光に淫靡な色を見つけて、息を飲む。

 そこで初めて、周囲を行き交う男達がちらちらとこの少女を見ていることを知った。

「そうは言ってもね…」
「それとも、アンタが俺を買ってくれるのか?」
「これが仕事じゃなきゃね」

 建前だ。
 だが、面白いかも知れない。
 綻び始めたばかりの花を散らすというのも、一興だ。

「やっぱ止めとく。今日は無理そうだな。アンタも仕事頑張れよ」
「君みたいな不良の少年少女を補導するのが仕事ですけどね」

 そういって少女は立ち上がる。
 背丈は、浦原の胸ほどしかない。
 さむ、と身震いをした。

「でもこの辺にはいないぜ。俺の縄張りだから、ちゃんと見張ってる」
「はあ」

 この子供が、この界隈を仕切っているというのか。
 浦原は瞬きして、またこの少女を目に映した。
 どうみても、15,6の子供にしか見えないが。

「どうせ暇なんだ。ちょっと付き合えよ」
「はあ?!」
「ホテルには連れ込まないから安心しろって」

 手を取られる。
 ポケットに手を突っ込んでいた浦原とは違って、随分と冷たい。
 凍えるような手でとられて、ぐいぐいと引っ張られた。

「ちょっとアンタに聞きたいことがあるから。ファミレスで良いよな?」
「聞くって何を」
「最近の教会の動向」

 その言葉に浦原は立ち止まる。
 少女がつんのめって、怒鳴っているにもかかわらず、浦原はその腕を引いた。
 転がり込むように、少女の身体が腕の中に。

「冗談にしては、穏やかじゃありませんね」
「お前、ハンターだろ?浦原喜助。有名だから知ってるに決まってる」

 その身体に、突きつけるのは直刀。
 浦原の懐刀だ。
 不死身の妖しを斬ることが出来る。

「物騒だな。仕舞えよ」
「君は、何者?」
「ファミレスで話そうって言ってるだろ。暗がりに連れ込むんじゃないんだからさ」
「…そこなら、君の正体教えてくれる?」
「お前の持っているカードと交換でな」

 鍔の鳴る音をさせて。
 浦原は刀をしまう。
 少女の身体を解放する。
 気付かなかったが、甘い匂いがすると思った。


 *


 ファミレスの、禁煙席に。
 この少女が望んだからだ。
 蛍光灯の光が燦々と降る場所。
 浦原はあまり好きではない。

「んーじゃあチキンドリアで。ドリンクはフリーね」

 勝手にメニューを決めている。
 おそらく、こちらのおごりだろう。
 向かい側に座った少女を見て、浦原はため息を吐いた。
 振り回されている。

「…それで、君は何者なの?」
「あ。アンタ、ドリンク何が良い?」

 店員が運んできた、フリードリンク専用のグラスを二人分持って少女は席を立った。
 うっかり、コーヒーで、なんて言ってしまった。

「はい」

 どか、と遠慮なしに置かれた。
 なみなみに注がれたコーヒーに嘆息する。

 少女は、ストローでコーラらしきものを吸っていた。
 すでにテーブルには、少女が頼んだ料理が運ばれてきている。

「今度こそちゃんと質問に答えて。君は、なんなの?どうしてアタシの裏の仕事を知ってる?」

 少女は顔を上げた。
 ふ、と笑みを零す。
 年に似合わない、妖艶さを持っている。

「アンタと半分一緒だぜ?……半分は吸血鬼。ただ、アンタと一緒で、吸血鬼の本能なんて残っちゃいないけどな」

 瞠目する。
 この子供が?

 世の中に、紛れて暮らしている吸血鬼。
 知られていないが、確かにそれは存在する。

 浦原もそうだ。

「…アタシと半分、ってことは、残り半分は人間じゃないの?」

 浦原は、人間と吸血鬼の混血児。
 ただ、吸血鬼のように血は吸わない。
 光が少し苦手で、そして、不死身。
 本当の年を忘れてしまうほど、それほどの年月を浦原は生きている。

「半分、夢魔」

 ハンターの間ではサッキュバスって言われてるかもな。
 少女はそういって、フォークで鶏肉を運ぶ。

 この淫靡な色も、男を籠絡させる色も。
 夢魔ゆえの、本能というわけか。

「結構大変なんだぜ。俺は夢だけ食えば別に満足だけど、ホテルに連れ込んだら勘違いされて、押し倒されるんだからな」

 特に中年の親父はそうだ。
 うんうん、とひとり納得した様子で少女は頷く。

 夢魔は夢を食べる。
 男に淫らな夢を見せ、その精気を喰う魔物。
 命を奪うことはない、男としては出会えれば幸運、なのか。

「… それで、アタシに聞きたいことは?」

 浦原は、少女の顔を見て、それからコーヒーを手に取る。
 同じ妖し。
 何を考えているかは知らないが、害はなさそうだと判断した。

「最近、吸血鬼が人を殺してる。狩りに失敗した子供の吸血鬼が殺すのならわかる。だけどその数が、半端じゃない」

 少女はそこまで一気に言って。
 それからポケットをあさる。
 そこから取り出して、浦原に見せたものは。

「この薬。何だ?」

 白い粉末。
 もちろん、ビニールに入っているから飛散することはない。

「どうしてこれを?」
「夢を買った男がくれた。そいつの夢不味いのなんのって」
「それはどうでも良いんすけど。それは、この近辺で流行ってる薬っスよ。麻薬に近いんでしょうけど、名前はないです」

 だが合法ではない。
 それを取り上げるべきか。
 だがこの少女も、悪用することもなければ、自分でも服用する気もないのだろう。

「依存性は高いけれど、中毒性は薄い。けれど、吸血鬼には毒だ。おかしな吸血鬼はこれをみな、服用したと聞きます。ハンター教会も迷惑してるんスよね」

 最近の吸血鬼の奇行は、全てこの薬のせいだという。
 吸血鬼だけが持ち得る中枢神経を侵す。
 人間達は、まさか薬を売った人の形をした彼らが異形だとは思わない。

「難儀だな。…半分とはいえ、同じ吸血鬼なのに殺さなきゃなんねえなんてさ」
「……同情しているとでも?」

 気が乱れる。
 この下らない感情を、浦原は好まない。
 それをおくびにも出すつもりはないが、おそらく気配が変わったのだろう。
 少女はくすりと笑った。

「お前が好きなように。……あ」
「浦原くーん。何仕事さぼっちゃって可愛い子とお食事してるの」

 鍔が鳴る。
 その寸前に、浦原の肩にずっしりと重さがかかる。
 しかし彼が振り向く前に、それが誰かと言うことが少女の口によって知れた。

「京楽春水」
「…あれ、僕をご存じ?」

 へらへらと笑う男が、一瞬だけ殺気立つ。
 浦原の同僚だ。
 彼もまた、半分は吸血鬼の血が流れる人間。
 実のところ、教会の構成員の殆どがそうだ。
 皮肉なものだ、と浦原は常々思っている。

「知ってる。この辺りじゃ有名だ。種族を気にしない女たらし」
「随分な言われようだねえ。浦原くん、知り合い?」
「知り合いというか、さっき会ったばかりというか……」
「夢魔の一護だ。初めまして。よろしくはしたくねえけど」

 そういって、少女は笑った。
 自分には名乗りもしなかった。

「僕も長い間生きているけど、女形の夢魔を見たのは初めてだ。よろしくね、一護ちゃん」

 そう言って京楽も、男らしい手を出した。
 一護が少し目を細めたことを、浦原は見落とさない。
 一護は握手のために差し出された手を、取ることはしなかった。

「アンタには恨みはないけど、教会の奴らとは馴れ合わないのが主義だ。悪いな」
「そう?残念だなあ」

 そう言った一護の顔は、笑っている。
 一護はコーラを飲み干すと、立ち上がった。

「浦原さん。ご馳走さま。このまま、夢でも売っていかない?」

 立ち上がったことで、視線の高い。
 一護は躊躇いもなく、小指を差し出した。
 それが、夢魔の一夜限りの契約だと聞いたことがある。

「君と寝るのなら、一夜の夢を買うのも面白いかもしれませんねえ」
「あいにくと、夢は売るのは懲りてる。俺は買うのが専門だ」

 そう笑う一護の顔は、蠱惑という言葉がぴったりだと思った。

「…男性経験、あるの?」

 京楽が目を見開いた。
 確かにまだ、一護の見かけの年齢は幼いといってもいい。
 父親だとしてもおかしくはない年齢(こちらも見た目だ)の京楽は、少しショックを受けたようだ。

「夢魔だぜ?夢の精気を喰う生き物だ。直接喰った方が美味いに決まってる」

 それじゃ、とそう言って。
 一護は席を立つ。
 店内を去る一護が、そのまま振り向くことはなかった。

「うーん。嫌われちゃったなあ。浦原くんは、懐かれたみたいなのに」

 男二人。
 掃きだめと言っても良い空間に、京楽のため息がおちた。
 何が違うのだろう、と呟いている。

「人徳の差じゃないっスか?」
「君がそれを言う?!」

 あー煩いですよ、と浦原が片耳に指を突っ込んで音を遮っていると、ふとテーブルの上に紙が落ちていることに気付く。
 紙ナプキンに紛れている。

 浦原はそれを折らないように掴みあげた。

 一護。
 080-XXXX-XXXX

 名刺だ。
 人間の血は混じっていないだろうあの少女のほうが、随分と浦原よりも人間らしい。
 電話番号と名前が書かれた紙の、今度は裏面を向けた。

『夢を売りたいときはいつでもどうぞ』

 一護といちごをかけているのか、名刺の左隅にはいちごのシールが貼ってある。
 浦原はそれに気付いて、くすりと笑った。


2007/03/08