やがて夕顔に変わり


01 白く透明な世界


 自分に異質な力があると知ったのは。
 母が目の前で化け物に殺され。
 気を失い、病院で目を覚ましたとき。

「一護?」

 父の心配そうな顔。
 何処か焦燥している。

「…あ、……」

 掠れた声しか出せない。
 父親は、安堵の息をついた。
 呼ぶ声がした。
 耳鳴りもする。

「どうかしたのか。一護…?」

 顔を顰めた一護に、一心は何処か痛いところがあるのかと問うた。
 思い頭を動かし。

「ううん…」

 けれど音が遠い。
 一護はまた眠りの世界に引きずり込まれた。

『手を取れ、一護』

 透けそうなほど透明な、手のひらが招く。

『俺が強くしてやる』

 力をやろう。

『俺の手を取れ、…相棒』

 一護は小さな手のひらで、けれどしっかりと、その白い手を握った。
 引きずり込まれる。
 金色の目が、こちらを見ている。

 男。
 一護とそっくりで、けれど色彩の違う一人の男。

『俺がお前を守ってやる』

 冷たいかと思った白い腕は、案外温かい。
 一護は男を見上げた。

 笑って覗くその舌は、蒼。
 人外の色。

 けれど不思議と怖いとは感じなかった。



 *



 一心が、一護の異変を感じ取ったのは、一護が十二歳になった初夏。
 母を亡くし。
 けれど姉として、妹たちを支えていた一護の気配が、おかしいと感じた。

 小さな囁き。
 誰か居るのか?

 鼻をすする声。

「一護」

 今度ははっきりと。
 知らない、男の声だ。

 一心はドアノブに手を掛けた。
 音を極力立てぬように。
 部屋は暗い。
 光が入り込む。

「ッ お前ッ何してる!」

 男が一護に覆い被さって。
 足下で煌めく銀。

「…ち…っ」

 男の肩に手を掛ける。
 これは。
 感触が違う。
 この世にあるものと、ないものの感触は違う。

 一心は息を飲んだ。
 振り向いた男は。

「お前…誰だ…?」

 一護にうり二つだったからだ。

「もう答えは出てるんだろう?」

 男は笑った。
 酷薄な笑みを浮かべ。
 青い舌で、一護の赤い頬をなぞる。

 虚。

「…何故……」
「アンタ、鬼道使えるか?」

 一心は目を見開いた。
 けれど、すぐさま首を振った。

「この義骸じゃ、無理だ」

 男はその言葉に返事をせず。
 一護の手を取る。
 血まみれの手。
 それを舌が舐め取っていく。

「一護」

 透明な指先が、一護の涙を拭う。
 水晶のように煌めく。
 天へ帰っていったとき、男の姿も消えた。

「…一護」

 虚ろな目。
 ココロがない。
 けれど刹那、焦点を結び、そして一心を映し出す。

「…親父…」

 いつの間にか大人びたこの子供は、父さんと甘えた呼称を止め、そう呼び始めた。
 いつの間にか泣かなくなった。

 いや、母親が死んだその日を境に。

「一護。お前…死神の力が、あるのか」

 気付かない方がおかしい。
 目を閉じれば感じる。
 幾分か抑える術を学んでいるようだが、滲み出るような純粋な霊圧。

 一護は首を縦に振る。
 やはり、あれは。

「あの男のこともか?」
「…知ってる。仮面、って言うんだろ?」

 虚を内に秘める死神。
 そしてその状態。

「何処まで知ってる?」
「親父が、死神ってコトも。…お袋が……俺を庇って、虚に殺されたコトも」

 嗚呼、と。
 一心は顔に手を当て天を仰いだ。
 そういう仕草を、取りたかった。

「具現化…してるってことは、あれか。お前、卍解まで出来るってことか…」

 真血だからか。
 子供の秘めたる力は、父親である一心をもってしても、計り知れない。
 一護が小さく頷くのを見て、一心はため息を吐く。
 ベッドの近くへ寄る。
 シーツに埋もれた、カッターを手にして、むき出しの刃を仕舞う。

「…卍解を覚えるんなら、先に霊圧抑える術を学べよ」

 どうやらこのばかでかい霊圧を、一護は持て余しているようだから。
 一護の、亡き妻に似た橙に指を通す。
 細く、柔らかい。

 梳くように指を通し。
 ふと、見えたのは。

「…あの男…!」

 大気へ消える瞬間。
 一心に向かって称えられた笑みはこれを示唆していたのか。

 一護の耳の後ろにぽつりと。
 赤い跡。



2007/02/24