Den Traum hat gesehen Das Schaf


Kraft


 明らかに着られている、と分かるような格好で。
 総執事が浦原の前に現れたのは、彼が勤務し始めてから5日後のことだった。

「総執事の黒崎だ」

 旦那様の隣に立つ、末席にいる浦原からは辛うじて頭が見える小さな子供。
 まだ幼いというのは相応しくないが、間違いなく子供に違いなかった。
 それが自分の上に立つのだと考えると、合点がいかないが旦那様の決めたこと。

「普段は学生をしているから、卒業するまで土日だけの勤務となるが、宜しくしてやってくれ」

 まだ高校生の、総執事。
 やはり溜飲は下がらない。

 勤務して僅か5日。
 その間には気づかなかったが、どうやら総執事は、幼い頃よりこの屋敷内で生活していたらしい。
 つまり執事としては新米ながら、屋敷のことは熟知している、と。
 先代の総執事の元で副執事をしていた男は後で得意げに話していた。

「黒崎一護です。宜しくお願いします」

 今時の子供にしては姿勢が正しく。
 煌々と輝く橙の髪。
 子供の癖にモノクルを付けて、総執事は一礼した。

 旦那様が仕事があるからと退室し、残ったのは総執事と、十数名の執事達。
 そこに気まずい雰囲気が漂ってもおかしくはない。
 やはり多くのものが、この新米総執事に納得していないのだろう。

「…恐れながら総執事。これまで執事としての経験は?」

 だから、浦原よりはベテランで、けれども若い執事はそう告げた。
 今思うと、彼は総執事の姿を今まで一度も目にしたことはなかったのだろう。

「ありません。それが?」
「私は納得がいきません。貴方のような、経験など一つもない人が総執事なんて。…いえ、この際はっきり申し上げます。私は貴方のような子供に命令などされたくない」

 その男を見据えて。
 総執事の、モノクルの奥にある瞳は何一つ動かない。

「少なくとも貴方よりはこの屋敷のことを分かっているつもりですし、仕事も出来ます。お辞めになるなら結構。辞表はいりません」

 斬り捨てるような言葉は、男を怒らせるのに十分であった。
 元々この男は少し、怒りっぽい性格をしていたようだから。

「っ このガキッ」

 周囲の制止を振り切り、男は総執事の胸ぐらを掴む。
 高校生と言う割りには少し小さな身体は、簡単に持ち上げられる。

 暴力沙汰は拙い。
 浦原はそう思ったが、初老の男…副執事は眉一つ動かさない。

「訂正します。今日付けで貴方をクビにします。理由は目に余る職務怠惰、理由なき遅刻です。申し開きは聞きません」

 感情もなく言って、一層男は逆上して。
 きっと1秒後には、タコ殴りにされているはずの総執事は。

「今日中に荷物をまとめて屋敷を出て行くように」

 倒れた男に向かってそう告げた(これも後で聞いたことだが、総執事は空手3段の腕前らしい)
 けれど彼の耳には届いていまい。失神してしまっている。

「ああ、言い忘れていました。そこの金髪の人」

 あいにくその場に金髪の人、とやらは浦原しか居ない。
 まるでモーゼの十戒のワンシーンのように、浦原の前にいた人が両側に分かれた。

 小さな総執事。
 随分と小綺麗な、男にしては可愛らしい顔をしている。
 こんな子供が、大の大人を背負い投げし、なおかつ失神させたというのだから、世の中何があるか分からない。

「何スか」

 後ろから、浦原を咎める声と、どうやら先の出来事で総執事=恐ろしい人という公式が出来た同僚の引きつった声が聞こえてきた。

「滅多に来客がないとはいえ、その無精髭は清潔感に欠けます。それと長い髪も束ねるなり切るなりするように」

 面接では何も言われなかった、実務でもお咎め無しの浦原の格好は、どうも総執事はお気に召さないらしい。
 汚い、と口外に言われて、浦原は押し黙った。
 ここで不満を漏らそうものなら、そこで倒れている男の二の舞。
 浦原は、ハイと返答すると引き下がる。

「私からは以上です。何か意見は?」

 あるわけがない。
 この総執事に勝てる気もしなかった。



2006/09/27