終わる恋と始まる愛


 好き、だった。

「今日はぱっと、飲みましょうよ」

 乱菊は、一護の腕を掴んだ。
 彼女のように綺麗だったら良かったのに。

 目を瞑ると、今でも思い出す。
 酷く無愛想な彼は、けれどとても優しい。

『別れよう、一護』

 優しい声音。
 嫌だ、なんて言えなかった。

 いつか綺麗な女の人が。
 自分が居た場所に、立つのだろうか。

「斬月って男も見る目ないわ!」

 一護よりも乱菊の方が、苛立っている。
 酒癖の悪い彼女は一護に酒を勧める。

 一護には飲めない、日本酒の匂いが鼻を突く。

『お前は酒が弱いのだから』

 そういって介抱してくれる。
 冷たくて大きい手を思い出した。

「ああ、一護っ 泣かないの!」

 堰を切ったように溢れる。
 だってこんなにも悲しい。

 好きだよ。
 今でもあんたが好きだ。



 *


 頭が痛い。
 割れそうなほど。
 酒を飲んだ翌朝はいつもそうだ。

 気持ち悪い。
 そう言うと、額に触れる手があった。

「………う…」

 枯れきった声に、一護はゆっくりと意識を浮上させる。
 一護は寝返りを打った。

 触れる、もの。

「…なに…」

 人の肌。
 温かい。

「!」

 腕が伸びる。
 男のものだ。
 引き寄せられる力は、強い。

「ざん、げつ……?」

 一護はすり寄った。
 堅い胸。
 汗の臭い。

「違う男の名前、呼ぶの…?」

 低く掠れた声は、甘い。

 違う。

「?!」

 一護は飛び起きた。
 腕から這い出して、布団からも這い出す。
 暗い視界の中、目に入った男に見覚えは、ない。

「だ、誰だっ」
「朝から良い眺めですね、一護さん」

 腕を引かれる。
 閉じこめられて、胸に押しつけられる。

「勝手に、人の家に……!警察呼ぶぞ!」
「人の家って、ここはアタシの家っスよ」
「お前誰だ!」

 手で胸を押しやる。
 そこで気付く。
 何も服を着ていない。

「…何も… 覚えてないんスか…?」

 自身の胸に手をやる。
 着ていない。
 布一枚さえ。

「!!?」

 目を白黒させた一護に、男はため息を吐いた。
 呆れている。

「昨日酒屋で、意気投合したんスよ。自己紹介もしたはずですけど…」

 のっそりと身体を起こす様は、大型の肉食獣のようだ。
 整った顔をしている、と思った。

「アタシは浦原喜助。へべれけになった一護さんを、あの場所においてはおけなかったから、連れて帰ったんですよ」

 だったら何故お互い裸なのだ。
 一護はそう視線に載せた。

「帰って来るなり、誘ってきたのはあなたですよ?どなたと勘違いしていたかは知りませんが」

 きっと。
 斬月だと思ったのだ。
 この男のことだ、優しい言葉を掛けたのだろう。
 だから勘違いした。
 昨日と変わらぬ日常が送れるのだ、と勘違いした。

「…悪かったな」

 シーツを掴んで、身体に巻き付ける。
 身につけていたはずの服はこの部屋にないようだ。

「服は洗濯してますよ」

 一護の思考を読んだように、浦原はよどみなく言った。
 また、引き寄せられる。

「もう一回しない?」
「しない!」

 近づく無精髭の生えた顎を押し退ける。
 何なんだこの男は。
 一晩の仲(文字通り)というのに、馴れ馴れしい。

「じゃ、お風呂に入りましょうか」

 浮遊感が襲う。
 浦原が突然起きあがり、一護を抱き上げたせいだ。
 落とされそうになって、首にしがみついた。

「積極的っスね」
「! 違う!ていうか下ろせ!!」
「駄目です」

 暴れるも、落としますよ?という声に思わず大人しくなる。
 そんな必要ないのに。
 いつもより視線が高い。
 けれど、斬月に抱えられたときよりも低い。
 それは浦原が、斬月よりも背が低いから。
 決して低いわけではない、むしろ高い部類にはいる浦原よりも、断然斬月の方が背が高かったから。

 突然大人しくなった一護を、不審そうに浦原は見た。

「その斬月さんって、そんなに良い男だったんですか?」

 黙り込んだ一護は、そのまま黙ったまま唇を噛んだ。
 何故、斬月のことを知っている。
 いや、酔ったついでに顛末を話したのか?

「お前には関係ないだろ」
「さ、お風呂に到着っすよ」

 暖房の入った脱衣所に下ろされる。
 といえ、脱ぐものなんてないのだから、用はない。
 えっと、一護が戸惑うと、背中に浦原が触れる。

「入って。一緒に背中流しっこしましょうよ」
「しねえよ。って、ちょ…っ!」

 風呂場に押し込まれる。
 なんて強引な男だ。

「はい。目瞑って」

 シャワーのノズルの影。
 目に水が入って欲しくない。
 そう思い、思わず目を瞑る。

 優しい手つきだ。
 慈しむような手。
 宝物を触るように、触れる。

 斬月もそうだった。
 彼は一護の父親の部下で、幼い頃からお世話になっていた。
 彼のことを好きだ、と思ったのは高校の時。

 幾人かの男と付き合って、違うと思った。
 斬月が他の女性と話していると、酷く苛ついた。

 思いを告げたのは、一護のほうからだ。
 だいすきなひと。
 子供の頃からの思慕が、恋愛感情に変わることに違和感なんて覚えなかった。

 上司の娘。
 だから斬月は一護の気持ちを断らなかったのだろうか?
 キスを強請ったのも一護から。
 抱いて欲しい、と迫ったのも、何ヶ月経っても進展しない関係にやきもきしたから。

 彼は、一護が望むものを与えてくれた。

「ふ…っ」

 頭を洗われる。
 その優しい手つきに斬月を思う。

 裏を返せば、一護が望んだもの以外に、与えてくれたことがあっただろうか。

 息を殺した。
 震える肩に、気付かないはずなんてないのに。

 シャワーの水が、髪に降り注ぐ。

 涙も。
 この水と一緒に流れてしまえば、良いのに。

「一護」

 歪む視界は、水?
 泡はもう、完全に流れきったはずなのに。

 目が痛い。

「関係ない、なんて嘘だ」

 強い腕に、捕らわれる。
 壊れてしまう、そう感じるほどに抱き締められる。

「アナタのことが好きだから、関係あるんです」

 呼吸が出来ぬほど、口付けられて。
 分からなくなった。



2007/02/27